社会人失格人間不合格

I can't be member of society.

評価されないインターネッツ絵師達へ

今やインターネット上では様々な絵師様達が、イラストを発表し鎬を削り合う。
業界人ではない素人でも一定の評価を得れば業界から声がかかるなんて話も珍しくない。

 

そんな中で多くなってきたと感じるのが、「絵が好きだから絵を描いているの」ではなく、「評価されたいから絵を描いてる」という人達だ。
あなたも、そんな中の一人じゃないだろうか?

だが今やインターネットで活躍している絵師様の数は何万人もいて、その中から自分が評価されることはなかなか無い。
ましてやその中で「評価されたい!」という思いだけが先行して空回りしている人が非常に多い。
ここらで一旦、なぜ評価されないのか一度考えてみるべきじゃないだろうか。

 

評価がどうしても欲しい人達へ

最初に問う

君は絵を描くのが好きだから描いている?

それとも、評価されたいから描いている?

今、君はどっちだろうか。よく考えよう。

 

絵を描くのが好きな君は、そのうち評価されるだろうから好きにやるといい。

こんな記事を読んでる暇なんてあったら、さっさとブラウザを閉じて大好きなお絵描きに戻るといい。

というか「評価の為に絵を描いてない」という高貴な絵師様にとって、ここは不毛の地だ。

早く森にお帰り。

 

評価されたくて絵を描いている君へ

最初に言っておく。

僕達は決して幸せになれない。

何故なら、人の評価ほど不確定なものはない。

その上、自分自身ですら自分を評価できないとなれば、自分を肯定してくれる者などこの世には存在しなくなるからだ。

自分たちは常に、不確かなものを求めて足掻くことになる。

その覚悟が無いなら、評価の為だけに創作するのなんて、やめちまえ。

 

評価されるにはパズルピースを増やせ

評価の話をしよう。

まだこの記事を読んでいる絵師は、いま評価されていない人なんだろう。

でも評価されたくてされたくて仕方がない。

自分では補えない自己肯定を、自己顕示欲を満たしたくて仕方がない。

他者の評価がないと自分を肯定できない。

他者から評価されなければ自分に価値など無い。

常に評価に飢えている。

そんな人間なんだろう。

わかる。わかるよ。わかるさ。

 

他者から評価されぬ創作者など無価値に等しい。

 

そう考える必要はないと分かっていても、そう感じてしまうのだ。

もう仕方がないので、この感情をうまく処理できる方法を見つけるべきだ。

 

その飢えを満たすために必要なのがまさに他者からの評価なのだが、 評価されるには積み上げた実績が必要なのである。

当たり前と言えば当たり前なのだが、なぜそれが必要なのか一度ちゃんと考えてみるべきだ。

なぜ実績を積み上げる必要があるのか。

 

実績を積み上げないと「作者」が見えない

たった一つの作品を出しただけで、それが当たって有名になって評価されてファンが沢山できるなんて宝クジが当たる可能性より低い。

というか、ありえないと断言していい。

弾は沢山撃った方がいい。

 

作品はパズルのピースと同じで、ピースが沢山ないとあなたの全体像が見えない。

 

一つ一つの作品が、あなたという全体像を作るパズルピースなのだ。

作者の全体像が見えないと、人は「たまたま見た作品は好きになれたが、作者自体を好きになれるのかどうか分からない」と考える。

そこで作者を追うのをやめる。

つまり、パズルピースが少ない内はファンが増えにくい。

せいぜい、その作品にチョロッと「いいね」が数件入って、それで終わりだ。

作品数が少ない内は貴重なファンをみすみす逃すこととなる。

 

評価稼ぎに焦って「落書き」を量産している

次に、一番陥ってる人が多いパターンだが、作品のピースも落書きばかりだとダメだ。

 

そんなブレブレのピースじゃパズルを完成させたところで実際の作者とはブレのあるイメージしか見えない。

手っ取り早い評価が欲しくて、落書きしか出せてなかったりするんじゃないか?

それじゃあ満足ゆく評価は一生貰えない。

 

「絵を描くのが好きな絵師」が強いのは、この「評価欲しさに焦って落書きを量産してしまう」ということが無いことだ。本当に自分の描くものに心から愛を注ぐことができる。まったく羨ましい限りである。

 

落書きでも評価されている人がいるって?

それは、その人は既に過去に充分な量のピースを埋めたから落書きも評価されているのだ。 

一部のピースがボケたり欠けたりしたところで、さしたる影響がない程の評価を得ているのだ。

地盤となる一定の評価を得れば、その後はもう……

落書きだろうがラフだろうが、

日常写真だろうが文字だけのコメントだろうが、

泥だろうがウンコだろうが、

猫だろうが杓子だろうが、

なんでもかんでも評価されてしまうのだ!

 

一部のピースがボケたところで全体を見たときの評価に影響はほとんど無い。

全て落書きピースなのはダメだが、一部ならば問題ないのだ。

そういうものなのだ。

評価されて自己顕示欲をジャンジャン稼ぐには、そこを目指す必要がある

 

「完成した」作品を増やし、パズルのピースを埋めろ

自分を評価してくれるファンを増やせ。

完成した作品とは、それ単体で第三者が楽しめるものだ。

一つのエンタメとして成立しているものが完成しているものなのである。

ただ女の子が立ってるだけの絵でも線画でも、衣装やポーズ、その他どこでもいいから第三者が楽しめるポイントがあるものだ。

楽しめるポイントが伝わってこない作品は落書き以下の評価しか貰えない。

残念ながら伝わってなかった場合、伝えられない自分の技量不足を噛み締めて次に進まねばならない。

あとはもう単純に絵の上手い下手の話になってしまうが、仮に下手でも数をこなせば上中下の中くらいにはなれるだろう。作品というピースで自分のパズルを埋めるには中くらいあれば充分だ。あとは作品数と第三者が見て楽しめるものがあれば同人で自己顕示欲を満たせるくらいにはなる。

 

パズルピースを埋めるまで、まずは耐えてピースを創れ。

自分という創作者を見せるためにパズルを埋めろ。地道にファンを増やせ。それしかない。

最初の内は落書きなんて時間の無駄だ。

完成度が80%以上の作品をアウトプットしろ。

落書きは本当に、息抜き程度にしておきなさい。

 

もし余裕があれば、作ったピースは後で自分でもう一度よく見ておくといい。

時間が経った時にふと過去の作品を眺めるだけでいい。その時に何か「ん?」と思うところがあれば、それを次のピース創りに活かすのだ。

 

パズルピースを埋めた後

発表した作品を並べるだけじゃなく、宣伝活動をしよう。

ピースを抱えて外の世界に飛び出せ。

「良い作品は勝手に評価されるようになる」ことはありえない。

そんなことは宝クジを買わずに当たるのを待つのと一緒だ。

 

twitterやpixivなどのSNSをもっと有効に使え。

今は上記二つが主流となっているが、流行りそうなSNSには常にアンテナを張っておいた方がいいだろう。

ただし、SNS他の絵師との交流が楽しいからってハシャギすぎるな。

 

ツイッターではタグというものがあって、時々企画タグが流れてくる。

タグは定期的に流れるものと突発的に流行るものがある。上手く使え。

#褐色娘祭りとか#深夜の艦これ作品など)

こういう突発系タグに乗れるか乗れないかは、今まで溜め込んできた作品数がものを言うので、やはり日々作り溜めしておくことが肝心である。

 

ただし「#自分の絵が好きな人はRT」とか「#自分の絵をRTしてくれた人全員フォローする」などのタグはあからさまな評価乞食すぎて周りにドン引きされるので絶対に手を出すな。

 

 関連記事:

susukinogi.hatenablog.com

 

pixivは多くのユーザーが検索による巡回を行っているので、適したタグをつけていれば自分の作風に合ったユーザーからキチンと評価を貰えるだろう。

ただし全年齢向け一次創作者にとっては荊の道。よほどの神がかった実力でもない限り多くの人の目には映らないので、覚悟を決めて作品置き場程度に考えろ。

 

同人即売会イベントで作品を出すのもいい。

ちょっと敷居が高く感じるかもしれないが、出会った人にその場で作品を手に取って貰えるのは非常に自己肯定につながる。

ただしやはり全年齢向け一次創作者には茨の道。金もかかる。

全年齢向け一次創作者にはコミティアを勧める。

 

パズルピースを埋めて宣伝もしたけど評価されない

ジャンルが全体的に人気が無いだけかもしれない。 諦めろ。 時代が来るのを待て。

今いるファンを大切にしろ。

「マジで誰も評価してくれないしファンもいないし繋がりのある絵師にもロクなのがいない」という惨状ならば、ゲスい話になるがジャンルに未練がないなら人気のあるジャンルに乗り換えろ。

(この記事は他人から評価を得ることを一番の目的としている)

 

とにかく地道にやるしかない

自分には才能なんてないことを自覚した後でも、立ち回り方はいくらでもある。

ただし、評価を稼ぐことに近道なんて存在しない。

地道にコツコツと歩んでゆくしかないのである。

 

当然であるが、手っ取り早くパズルピースが欲しいからと言って、他人の作品を自分の作品だと嘘をつくのは厳禁だ。

そんなことをすれば評価は地に堕ちるので、絶対にやらないように。