努力なんて無駄だから、できることだけをやろう
人間は生まれた時点で才能と環境が決まっている。
昨今では努力の素晴らしさについて語られてることが多いが、自分から言わせればそんなのはまったくの無価値だ。
努力して出来た人は、もとから出来るだけの才能があっただけだ。
努力は万能ではない。
騙されちゃいけない。
努力が持て囃される理由は2つ
まず一つ目の理由。
努力で才能も運も環境もカバーできると思った方が、希望が持てるからだ。
「もしかしたら自分も」と思えるからだ。
だけれども、人間は生まれた時点で才能と環境が決まっている。
環境、例えば生まれた国や土地が悪く施設もなく親も酷い人であれば、才能も何もあったものではない。
そこから抜け出すには相当の運が必要となるが、そんな人間は一握りもいない。
環境が良くても才能がなければ無駄だ。いくら努力したって、才能がある人間には勝てない。それに運も悪いとなれば、もう勝ち目はないだろう。
この世は才能、環境、運の三つが揃っている人間には絶対に勝てないようになっている。
努力が持て囃される理由のもう一つは、稼げるからだ。
才能も環境もない人間に、世間は「努力が足りない」と言葉を突き刺してくる。
そこに「いい方法の努力を教えますよ」と言えば、そこで商売ができる。
才能がない人が努力しても意味がないのに、努力商法で稼ぎたい人間は「努力が足りないのですよ」「ここでやめれば全てが無価値になりますよ」と言って、さらに金を毟り取ろうとする。
そんな奴らがこの世には蔓延っているのだ。
才能も環境も運もない奴らから、さらに毟り取ろうとするハイエナの言うことに耳を貸すな。
努力なんて無駄
結局、才能も環境も運もないのに努力なんてすることは無駄だ。
そもそも「努力しなきゃ」と思った時点で、それは自分にとって向いていないことなのだ。
才能が本当にある人は、他人から見たら努力に見える行為を、努力だという自覚なしにこなす。
「努力しなきゃ」という自覚がある作業をしている時点で、才能が無いのだ。
努力が苦しい時点で向いてないのだ。
諦めろ。
できることだけやろう
人間、生きていくには出来ることだけやっていれば十分だ。
表舞台でチヤホヤされている人を夢見て努力するなんて無駄だ。
また、世間で蔓延る「努力しないと生きていけない」という脅し文句を聞く必要は無い。
努力すれば夢は叶うだとか、人間の成長だのなんだのと喧しく口にする奴の言うことに付き合ったって、そいつらは努力が実る保証なんてしちゃくれない。無駄に時間と金と労力を消費するだけである。
生きていくには無用のものだ。
できることなんて何も無い、なんて人はなかなかいないと思う。
何かしらできることがある筈だ。
0から努力して育てなきゃいけないものより、ある程度できることをやった方が生きやすい。
もっと楽に生きたってバチは当たらないだろう。
世間の言う、「努力」「成長」の言葉に振り回される必要はない。