社会人失格人間不合格

I can't be member of society.

「やる気」に対する日本人の意識

やる気というものに対する日本人の考え方は恐ろしい。

「やる気」で試しに検索すると、やる気を出す方法がゴマンと出て来る。

やる気が出ないのであれば、やれ怠け者だ鬱病だと「やる気がないことは異常である」と声高に叫ぶ。

まるで、やる気がないことが悪であるかのように。

これは恐ろしい考え方だ。

 

やる気はないのが当たり前

人間の脳はラクをするようにできている。

使う労力は少ない方がいいというのは、当然の話だろう。

やる気が必要な状況というのは、人間が無理している状況なのだ。

そんな状態を四六時中維持しろというのは無茶な話である。

そのうち体を壊す。

 

やる気ばかりあっても仕方がない

世間はやる気に満ち溢れている人間を賞賛しがちだ。

しかし、やる気よりも大切なのは成果ではなかろうか。

本当に目指すべきところは「やる気がなくても成果が出せる」という状態であるべきだ。

やる気がなくては成果も出ない、というのはそもそも根本的な取り組み方が間違えているだけなのである。

仕事でも何でも「やる気なんてなくても成果が出せる体制を目指す」のが正解であるべきなのだ。

 

しかし今の日本にその考え方はない。

やる気があり、誰よりも忙しい人が偉いのだ。

そんな意識があるせいか、社会人は焦るように口を揃えて「やる気があります」と叫ぶ。

だがそれは相手の思う壺だ。

「やる気があります」なんて言ってしまったが故に膨大な仕事量を押し付けられる者を何度も見てきた。

 

上手な怠け者になることを目指そう

この記事を読んでいる人は、やる気アピールをし過ぎて疲れていはいないだろうか?

どれだけ頑張っても見返りの来ない日常に疲れてはいないだろうか?

今の時代、どうせ給料なんてそうそう上がらない。

人事評価なんて上司の機嫌で決まる。

ならば仕事量は少なく済んで、規定の給料がもらえるような立ち回りをした方がいい。

「やる気がある」アピールなんてして目立ったら、今はロクな目に合わない。

あまり失敗もせず、しかし目立たない平凡な人となるべきだろう。

 

意識の高い仕事人の記事に惑わされてはならない。

自分たちは凡人であることを自覚するべきなのだ。