「今は苦しい時期」を耐える必要はない
人生にはつらい時、苦しい時がある。
悲しくて不安でたまらない時がある。
そういう時に「今は苦しい時期。耐えていればそのうち楽になれる」なんて思ってはいけない。
苦しい時期が終わるのを待つのはギャンブルと同じ
そもそも苦しい時期はいつ終わるのか分かっているだろうか?
日常には様々なトラブルが眠っていて、苦しい時期が終わりそう……と思った時に限って吹き出してくるものだ。
そして苦しい時期延長なんてザラにあることだ。
苦しい時期を耐えきったところで、それに見合う報酬が来るだろうか。
そんな保証はない。
苦しい時期に耐えて、その先に幸せがあることを願うのはギャンブルと同じだ。
そのギャンブルに挑む価値があるのならば、あえて耐えるのもいいだろう。
だが、そんな不確定なものの為にあなたは苦しまなければならない。
苦しみを少しでも感じたら逃げるべきだ。
周囲の人はアレコレと言うかもしれないが、それは苦しいのが当たり前という負け犬人生を歩んでいる人間の吐く呪詛だ。
そんなものが当たり前であってたまるか。
日本はすぐに苦行を美徳化するが、それは大きな間違いだ。
苦痛を味わって得られるものは、たった少しの教訓と大量の苦痛やストレス、下手すれば病気だ。
なぜそれを美徳化するのか、世間一般の皆様が考えることはイマイチよく分からない。
苦痛は最初のひと舐めで充分
苦痛や失敗、悲しみが教訓になることもあるだろう。しかし苦痛を最後まで余すことなく受け入れる必要はない。
苦痛は毒と同じものだ。大量に摂取すると死ぬ。
毒だと分かったものを最後まで食うのはただの馬鹿だ。
最初のひと舐めで毒だと気付き苦しんだらもう充分。残った毒は捨てるべきなのだ。
逃げることのリスク
◆人の縁が切れる
逃げて切れる縁はその程度の縁だ。
世の中は他にも沢山の人がいる。
人脈なんてまた構築すればいい。
◆評価が下がる
その評価を下げる人は誰だろうか。
その人のする評価はそんなに大切なものだろうか。
小さいコミュニティの中で必死に得るべき評価だろうか。
◆苦痛の先に得られたかもしれないものを捨てることになる
たしかに、苦痛の先に魅力的なものがあったかもしれない。
だが長い人生、それは本当に必要なものだろうか。
苦しんでまで得る価値があるだろうか。
苦しんでまで生きる必要はない
苦行を美とする価値観なんてクソ喰らえ。
そんなもので苦しみを正当化するな。
今が苦しいならばそれに耐えることよりも、逃げる方法や逃げ込む先について考えた方がいい。
もっとみんな自己中に、自分の幸せを考えて生きるべきなんだ。